2013/06/21

Asakawa Underground Plant / 浅川地下壕見学




もう1ヶ月ほど経ちますが、地元高尾にある浅川地下壕の見学に行って来ました。

浅川地下壕の事を知ったのは、8年ほど前に高尾に越してきた時に地域のことを知ろうと思ってたまたま以下の本を手に取ったのがきっかけでした。

地下秘密工場―第1軍需工廠・第11製造廠・中島飛行機浅川工場
斎藤 勉
のんぶる舎
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この地下壕については浅川地下壕の保存をすすめる会のWebサイトに詳しいです。以下引用。

浅川地下壕とは、アジア・太平洋戦争末期、
陸軍の計画によって掘られた、
全長10キロメートルにもおよぶ大地下壕である。
当初は「倉庫」という名目で工事が始まったが、
一時中断の後、今度は、
軍用飛行機のエンジンをつくる工場を
移転させる目的で工事が進められた。
実際に一部は工場として使用され、
10機ほどの工ンジンが完成されたといわれている。
1944年9月に工事が始まり、
45年8月の敗戦の時まで掘削工事はつづけられた。
戦後、機械などは全て運び出されたが、
地下壕そのものは当時の様子をそのまま現在に残している。

知って以来興味を持ち続けていて、年に一度近所の市民センターに見学会の張り紙が貼られる際には申し込みもしましたが、いつも満員で参加ができずにいました。ですが、たまたま検索して見つけた上記浅川地下壕の保存をすすめる会のサイトをみてみると、月に一度見学会を実施しているではないか。早速5月の会に参加を申し込みました。ちなみに参加費は400円で、懐中電灯と長靴と軍手の装備が推奨されています。僕はヘッドランプで参加しました。詳しくは会のサイトを参照して下さい。

当日高尾駅の南口で以下の旗を目印に待ち合わせをし、地下壕に向かいました。当日参加者25人前後。若者からお年寄りまで。会の案内担当の方は1人でした。


地下壕へ行く途中にみころも霊堂のある公園に立ち寄り、地下壕の概要の説明を受けました。その後10分ほど歩いて地下壕の入り口です。ヘルメットは会から貸していただけます。

地下壕の入り口はフツーの民家の裏にありました。民家の玄関の脇を抜けると入り口が口を開けています。


通常は施錠をされていますが、見学の日には開放されているようです。ちなみに見学が月に一度なのは内部に設置された東大の研究室の地震計が振動を検知してしまう為、見学当日のみ地震計を停止するなどの処理をするためだということです。

中はこんな感じです。掘削した素地がそのまま出ています。


中は当然真っ暗。入口近くには近所の人が置いているような雑多なものが沢山置いてあります。


ものすごく涼しいです。


ちなみにこの日見学をしたのは以下の地図のイ地区です。


下部に2本の足がありますが、この左下の部分から入りました。右側の足に当たる通路を途中まで歩きましたが、そこには鉄格子が設置され(写真撮りそびれました)そのこから先には行けませんでした。なんでもオウムの事件の頃にこの地下壕に毒ガスがあるという疑いがかかり警察の捜査が行われたそうで、その際に誰もが入れる状態になっていたことを危ぶみ設置されたそうです。

広い箇所はこのようになっていて、往時はトラックも通行していたそうです。ちなみに戦後はマッシュルームの栽培も行われていたとのこと。


ちなみにこれが東大の地震計。思ったよりあっさりした作りでした。巨大なジャイロのようなものを想像していた。。。


当時の掘削の様子を知ることの出来る箇所がありました。中央部に見える穴は発破用に穿たれた穴の残りだそうです。


この穴にダイナマイトを差し込んで岩盤を掘削したようです。以前吉村昭の高熱隧道を読んだので掘削作業はよく想像出来ました。


当時トロッコも設置されていたようで、以下のように枕木の名残が確認できました。


一部箇所は以下のように補強がされています。


この近辺でテレビ番組の収録が行われた際に偶然3トンものダイナマイトが発見され、その撤去時に崩落を防ぐ目的で作られた補強のようです。ちなみに奥に見えるのは地下壕の入り口です。


たまたま某芸能人が発見したとのことですが、相当驚いただろうな。。。さすがにテレビの収録ということで超強力な照明が使われていて、普段見落とされていたダイナマイトが発見されたということです。

その付近はこのように素地から吹き付けが行われ補強された箇所もありました。


たっぷり30分以上歩いたでしょうか。地上に出ました。外は明るい。そして風が暖かい。


ちなみに3枚前の写真に写っていたのはこの入口です。現在はこのようにカモフラージュされています。


当然鉄格子があるので自由に出入りはできません。

ちなみに入り口の近くには以下の東大の地震計の分電盤がありました。


このような感じで見学は終了しました。現地解散。

都内に残る貴重な戦争遺構である浅川地下壕を見学できたのは非常に有益な体験でした。数年越しの念願でしたしね。浅川地下壕にまつわる数々のエピソードはここでは紹介しきれませんが、大本営の移転候補であったなど話題には事欠かず、興味のある方は色々調べてみると面白いと思います。そこには朝鮮人を使役して掘削したと言われるような負の側面もありますが、ここではその是非については論じません。個人的には戦争という極限状態における人々の行いには興味が尽きません。

興味を持った方は是非浅川地下壕の保存をすすめる会のサイトから見学会に申し込んでみることをオススメします。とくに戦争遺構に興味が無くとも、手軽に出来るケイビング体験としてもオススメ出来る気もします。

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